エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
サッカー愛にあふれたうんちく話

グランド完成と1勝の壁

新ユニホーム

3度目の挑戦は最悪の結果に終わりました。

しかし,歩みを止めることはできません。それだけたくさんの方に支えていただいているチームになったのです。

チームはユニホームを一新し,本来のチームカラーにしていた白と紺(青)に戻しました。

これまで監督をしていた方が選手に復帰し,新たな監督の下での再始動となりました。

チームは社会人選手権等で東海での戦いが増えていきます。県外遠征も増えていき,サッカーチームとしての戦術を整えていきます。

選手の質も上がっていきますが,FCペルソナ時代の選手の年齢が少しずつ上がってきていました。

私も,もう「FCペルソナではない」と実感していました。

4度目の挑戦

チームは県リーグで順調に勝ち星を重ねていき,4度目の東海リーグ参入戦の資格を得ました。

ことばにすればこの程度ですが,5月から11月まである長いリーグ戦です。良い時もあれば悪い時もあります。

休日に家庭よりもサッカーを優先しなければけないわけですから,家族がいる選手からしたらそれなりに大変です。

それでも,今年も最低限のノルマは果たしたことになります。

地域のスポーツ環境改善に貢献

ちなみに私たちの活動が地域に大きな実績を残します。それが、

伊勢フットボールビレッジ

の完成です。

人工芝のグランドがサンアリーナという体育館のそばにフルピッチ2面,続いて2面できました。この4面の人工芝のグランドは私たちが活動した成果です。

これにより,三重県南部地域のサッカー環境が劇的に改善され,子どもたちはきれいな芝のグランドの上でサッカーを満喫できるようになったのです。

2度目の愛知県での決戦

さて,この年の入替戦は愛知県です。そう,私たちが最初に敗退した雪の試合の会場です。あれから4年たったことを意味します。

時の流れは速いもので,あの試合に出場していた選手はもう半分もいません。そして,チームは地域のチームに変貌しています。

チームはついに入れ替え戦の1回戦を突破しました。東海リーグ昇格がにわかに現実味を帯びました。

あと1勝です。

会場は名古屋市港サッカー場。

私は後悔の静岡時代にこのグランドで東海リーグの入替戦を戦ったことがあります。静岡の社会人チームの一員として参加しましたが残念ながら負けてしまいました。

この頃の私は肉離れを繰り返し,選手として試合に出場することは減っていました。それでも,チームを支える立場として裏方をこなしていました。

延長の末に…

この日の試合も控えのゴールキーパーとして辛うじてベンチ入りするだけでした。

結果は,延長までもつれる激戦の末,敗退。

3年連続で昇格失敗です。

冬空がどこまでも続いているように感じたことを覚えています。

「サッカーで生きていく。」

それはものすごく強い決意と覚悟,そして忍耐が必要だということです。