エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
(仮の題名)「サッカーが大好きな国でプレーするまでの話」

地獄のコロナ渦へ

地獄のコロナ渦へ

新型コロナウィルスが瞬く間に世界中に猛威を広げ,世界中の人々が目に見えないウィルスに怯え,命の危険を自分のこととして身近に感じ始めました。そしてその時は突然やってきました。私が務めていた小学校を含めて日本中の学校が一斉に休校になったのです。それは長男が通う山梨県の中学校も同様です。長男が中1の3月でした。世の中がロックダウンをしました。これまで当たり前のように出来たトレーニングや試合も当然出来なくなりました。

この頃は3期性(実質2期生)が小学校を卒業して,入寮する時期と重なりました。3期生は3年間をまるまるコロナ禍で過ごすことになるので本当にかわいそうでした。当時は感染予防として「3密」を避けようと言われていました。だから学校は閉鎖になったのです。子ども達が生活する寮はまさに「3密」です。学校にも行けない。サッカーも出来ない。悲惨です。それでも寮のスタッフや関係者は万全の体制をとってくれました。おかげで安全に生活はしていたようです。それでも1000mの高原で寮から一歩も出ることも出来なくなった子ども達がストレスを溜めていくのは当然のことでした。

県外の保護者は山梨県に入ることが出来なくなりました。ただでさえ親は寮生活に不安を抱えているのにも関わらず追い打ちをかけるようなコロナ禍への突入でした。

私は保護者としてクラブにある提案をしました。それは自主練場を使った寮内でのカップ戦です。外部と遮断されているわけですから寮生は感染経路が絶たれています。だから寮生同士がサッカーで接触することは何ら問題がありません。サッカーがしたくて実家を飛び出すような少年達です。少しでもこの状況をポジティブに捉えるために,一人で家のこもらざるを得ない一般家庭には出来ないことも寮では出来ると考えた提案でした。

このコロナ禍で世界中のスポーツ大会が中止や延期になりました。あの関東リーグ昇格を逃した関東U15リーグは昇格も降格も無いリーグになりました。これによって長男が関東リーグでプレイすることは実質無くなりました。夢と希望を持って親元を離れた子どもたちにとっては「今」はかけがえの無いものです。それが謎のウィルスによって壊されたのです。この年の中3や高3は全ての大会を失いました。その失望感は計り知れず,当たり前が当たり前のようにやってこないことを身に染みて実感したのでした。

長男はスマホを持っていないので、連絡を取り合うこともままならず、親子でただただどうすることも出来ない時間を過ぎていました。

ロックダウンから数か月後,ウィルスの特徴が解明され出したことで,感染の波を見ながら,徐々に文化的な活動が再開され始めました。無観客が原則でスポーツも再開されました。大会やグランドによって観戦可能か不可能かの確認も一般的になりました。選手達はPCR検査を受けたり,予防接種を受けたりしてプレイするようになりました。

県外の保護者は山梨県に入る事が許されないことも多かったので,観戦はなかなか出来ませんでした。それでもチームが試合動画をYOUTUBEにあげてくれたのはとても有難かったです。

この年のアメージング・アカデミーの成績はかんばしくなく、U15県1部リーグで優勝することが出来ず、高円宮杯も県予選で敗退してしまいました。もともと年代に応じて必要な戦術を学んでいくのがアメージング・アカデミーです。それもリーグ戦文化が根付いているスペインのメソッドですので、勝敗以上に日々の学びを大切にしています。勝利を目指すことはサッカーでは当たり前ですが育成年代なので内容にも相当にこだわります。日常的に高強度で試合が出来ないことは育成の進捗にも影響を与えていました。

何度も感染の波を繰り返す中で、少しずつ日常が戻ってきました。スポーツも新しい実施方法に慣れ,これまでのように試合が行えるようになってきました。県をまたぐ人々の行き来も緩和され、ようやく実際に子ども達のプレイが観れるようにもなりました。ただし常に子ども達は体調の変化に怯えていましたし,関係者も出場できないチームが出てしまわないかと冷や冷やしていました。

 

次回は「疲労骨折で失ったものと得たもの」です。