二男の骨折と受験
二男は奈良に引っ越したことでサッカーが日常に戻っていました。身体がよく動くようになり,闘争本能も復活しました。U14のときはU15奈良県2部リーグでサイドバックとしてフル稼働して準優勝しました。
中3になった二男はすっかりこの街やこの生活にも慣れ,中学校にもたくさんの仲間ができていました。いよいよジュニアユース最終学年です。ユースに昇格できるかどうかも気がかりなところでした。
のんびり屋の二男は何が何でもユースに昇格したいという意志が感じられません。それどころか高校受験を控えている危機感もありません。親としては心配しかありませんが,県1部リーグではディフェンダーとしての本領を発揮していました。ハードすぎるディフェンスで着々とイエローカードを累積させていきました。
チームはなかなか勝ち切ることができず,気がつけば降格争いに巻き込まれていました。もともと二男の学年はエコノメソッドを導入した最初の学年でした。奈良クラブジュニアからの昇格は1名しかおらず,U13のときは所属選手がぎりぎりでU13のリーグ戦も残り数試合で何とか残留を決めたほどでした。
6月,二男のユース昇格は叶いませんでした。おっとりとした二男の様子から予想はできましたが,ユースでエコノメソッドを継続して学んでほしかった私の願いは届きませんでした。これによって奈良に残る意味が無くなり,地元の高校を選ぶことになりました。
二男は受験に向けて塾に通い始めました。もしこのタイミングで塾に通わなければきっと二男は厳しい受験になっていたと思います。それも縁だったのかもしれません。二男は持ち前の人懐っこさで塾の先生に愛され,学校の先生の愛され,仲間に助けられ,ようやく進路に希望が見えてきました。
そんなときです。U13のときのように残留に向けてチームが一致団結し始めた試合でした。ちょうどその日は夏休みを利用して三男も奈良まで観戦に来ていました。二男は身体がよく動いていていました。精神的にも充実していました。サイドバックながら惜しいシュートも打っていました。今日はいける。二男からしたらそんな感じだったのでしょう。不用意に背後をとられてしまった二男は慌ててプレスバックし,強引にスライディングタックルでボールを奪いに行きました。
「グシャ。」
そんな音が聞こえるようでした。いつもならすぐに立って,もう一度奪いにくのですが,この日の二男は違いました。何とか立とうとするのですが痛みで立てませんでした。苦しそうな表情を浮かべています。私はすぐに「やばい」と思いました。二男はそのまま交代しました。私の胸がざわつきます。
試合後に,二男の下に駆けつけると左足首がかなり腫れていました。
すぐに救急の病院に行き,診察を受けました。診断結果は「骨折」でした。私と二男は無言で顔を見合わせました。
済生会奈良病院の紹介状を書いていただき,その日は家に戻りました。二男はあまりの痛さに眠れない夜を過ごしました。
翌日,済生会奈良病院に向かいました。正式な診断結果は「左足首の腓骨骨折」でした。その日のうちに手術を行い,数日間の入院となりました。完治まで4ヶ月。二男のジュニアユースのサッカーは突然終わってしまいました。奈良チャレンジも終わりました。こんな結末を想像していなかった私は呆然とするしかなく,二男は初めての入院におびえていました。
結果として,二男は一足早く受験勉強に専念することになりました。
何度も通院を重ねて,二男がまともに動けるようになったのは,骨を固定していたワイヤーを取り除く手術を終えた翌年の2月下旬でした。全治4ヶ月どころではありませんでした。
3月,後輩達の練習に混じってプレイする二男を見たときは,ほんの少しだけ涙がこぼれました。息子が元気にプレイしているだけでこんなに嬉しい気持ちになるのかと思いました。私は子どもに期待しすぎているのだと改めて思いました。
次回は「ようやく県2部リーグ優勝」です。