私が正しいとか正しくないとかは横に置いておいて,私がずっと気を付けていることを綴ります。
教師はドリルが好きです。
教師は基礎基本が好きです。
教師は正解が好きです。
教師は成功が好きです。
つまり教師は「1+1=2」が好きなのです。
だからこども達には答えが出る練習をコツコツとさせます。
それが出来たら「2」という答えが出せると信じているからです。
でも,それで主体的で応用力があり,感性が豊かな大人に育つでしょうか?
どちらかと言えば,事務的で機械的で従順な大人になる気がしませんか。
別にどちらの大人になっても本人が望むならそれで良いのですが。
1と1を足せば2です。
これは絶対です。
でも2に注目してください。
1+1も
3-1も
2×1も
2÷1も
みんな答えは2になります。
つまり2にたどり着く方法はいくらでもあるのです。
イコール(=)は右側と左側でセットです。
どちらを優先するのか。
それによって見えてくるものが変わるのです。
そこで私は以下のように分類してみました。
1+1=2
↑学校等,答えが明確で数値化して人を評価することが容易なトップダウンの思考
2=1+1
↑サッカーやバスケットボール等,カオスになりやすいスポーツに必要なボトムアップの思考
私はサッカーが大好きです。
でもサッカーが上手くありません。
理由を考えてみました。
私はものすごく賢いわけではありませんが,学校がこどもに求める勉強でそれなりの数値を普通に獲得してきました。
地域の進学校に合格し,国立大学に合格し,教員採用試験に合格しました。
合格するために必要なテストの数値を上回った結果です。
でもやっぱりサッカーは上手くありません。
せっかくそれなりの進路を歩んだのにです。
「1+1=2」というトップダウンの思考はサッカーには向かないということなのでしょう。
サッカーは仲間と協力し,相手の邪魔をかいくぐり,精神的なストレスを乗り越えて,無数の方法でゴールや勝利に向かいます。
サッカーで言えば「2」が勝利でありゴールで,「1+1」は勝利やゴールにたどり着くためにある無数の方法の一つということです。
私は,こどもの頃から教師の言うことに疑問を持たず,無感情でドリル練習を重ね続け,テストで点数を取ることが正しい勉強だと思ってきました。
しかし,それではサッカーは上手にならないのです。
リフティングする技術
ドリブルする技術
パスをする技術
コントロールする技術
シュートする技術
等々。
サッカーでは絶対に必要な技術です。
私もそれなりにできます。
でもサッカーは上手ではありません。
どんなに高い技術があっても,サッカーの試合の中でその技術を応用できなければ,その技術の価値は無いのです。
こどもの頃,私が住む地域にはスポ少も無ければ,中学校に部活動もありませんでした。
現在のような情報もありませんでした。
私のサッカーの先生は書籍と漫画「キャプテン翼」でした。
教えてくれる人がいないので,ずっとリフティングをしていました。
それもインステップのみで。
小学生で1000回以上できました。
強い精神力は身に着いたかもしれませんが,サッカーというスポーツの原理原則は全く身に着きませんでした。
高校でようやく部活動に入りましたが,顧問はいましたが監督はいませんでした。
相変わらず私のサッカーの先生は漫画でした。
その結果が今の私です。
教師がそうなんですから,大半のこどももそうなります。
そうならないこどもは学校ではある意味「問題児」です。
でもその「問題児」こそサッカーでは「上手い」こどもです。
なんとも奇妙ですよね。
私は教師時代に様々な経験を積みました。
たくさんの疑問に出会いました。
こども達には私のようになってほしくないと思いました。
そこである時期から,こどもたちには
「なぜ?」「どうして?」
と問うようになりました。
なぜ宿題をするのか?
どうして勉強をするのか?
「理由」は人それぞれです。
でも理由が分かればやるべきことも決まってきます。
この考え方になってからは,私は授業を通してこども達との対話が増えました。
最初は「答え」を言おうとこども達は戸惑います。
継続は力なりです。
慣れてくると,こども達は自分なりの理由を語るようになりました。
私は答えを求めていないのですから当然です。
そうすると不思議なのですが,こども達は安心し始めました。
「自分のことを遠慮しないで語って良い」
という雰囲気が出来てきました。
ある学年で道徳の授業をしていました。
資料を使って討論をしていると,Aさんが「お父さんがいない」ことをみんなの前で語りました。
休み時間になりました。
「先生,あの子の家のことは知ってたけど,今まで聞いていいか分からんだ。でも,平気で話してきたから,びっくりした。でも,言ってくれて嬉しかった。」
Bさんがちょこんと私の隣に来て,そのように話してくれました。
AさんとBさんはよく遊んでいました。
でもBさんはずっとAさんに気を使っていたのでした。
その後の二人の関係がどうなったのかは容易に想像がつきます。
こどもが語る内容にはプライベートな部分がありますから取り扱いには注意が必要です。
でも,私が「答え」を求めていたら,Aさんは自分のことを語らなかったでしょうし,BさんはずっとAさんに気を使っていたでしょう。
数値化する価値があるならすれば良いと思います。
でもその数値に理由があり,その数値に価値を見出せるかどうかは大切だということです。
これが今回の投稿の内容です。
うんちくをだらだらと綴っていたら,とりとめが無くなってしまい,内容が上手くまとまりませんでした。
すみません。
結局,何が言いたかったかというと,
「何を求めるかによって,そこにたどり着く方法が決まる」
ということです。
進学校なのか,サッカーなのか。
それは人それぞれです。
でも,「人生を豊かに生きる」ことを求めるのなら,私は絶対にボトムアップが良いと思います。
だって「寄り道」は最高でしょう。
方法がいくらでもある方が刺激的で楽しいに決まっています。