奈良クラブとの出会い
怒涛の奈良クラブネタです。
何としてもJクラブになってほしい。
ただそれだけです。
今回は私と奈良クラブの縁から綴ります。
私は当時はJFLを目指す三重県の社会人チームでプレーしていました。
そんなとき奈良クラブとトレーニングマッチをすることになりました。
私は奈良クラブと言うチームがあることも知りませんでした。
当日,仲間と共に奈良に向かいました。
ここからの記憶があいまいなのですが,トレーニングマッチと言ってもフットサルコートを少し大きくしたような人工芝のグランドでプレーしたことを覚えています。
確かヤナギフィールドと言う名前でした。
でも現在のヤナギフィールドとは違います。
奈良に引越して奈良クラブU14の保護者に伺って分かったのですが,その場所は現在のソリアフィールド(奈良市宝来町)だそうで昔はヤナギフィールドだったのそうです。
記憶が一気につながりました。
その後,私は三重県の社会人チームを離れますので,奈良クラブとの縁はしばらくありませんでした。
濵田さんが奈良クラブ社長に就任
時は流れて,長男が中学校1年生の時です。
山梨でアメージングアカデミーのプロジェクトを立ち上げた,アメージングスポーツラボジャパン社長の濵田さんがJFLに所属していた奈良クラブの社長に就任したのです。
濵田さんはスペインのバルセロナにあるサッカーのコーチング会社であるサッカーサービス社のキャンプやスクールを日本で展開していました。
http://soccerservices.jp/
サッカーサービス社の指導の素晴らしさを確信している濵田さんは,サッカーサービス社が掲げているエコノメソッドを導入したジュニアユースチームを山梨県北杜市で立ち上げました。
それがアメージングアカデミーです。
https://grande-amazing-academy.com/
縁と言うものはあるものです。
長男は中学校2年生の終盤に差し掛かり,いよいよユースの進路を考えていかなければいけない時期でした。
濵田さんは奈良クラブの社長に就任すると,これまでの体制を整理しながらも,新たな方向性として一貫したメソッドを持つチームへと舵を切りました。
サッカーサービス社と契約してエコノメソッドをチームに導入することを決めたのです。
アメージングアカデミーから奈良クラブへ。
ジュニアユースからユースまでエコノメソッドを継続して学ぶルートが出来上がりました。
私も再び奈良クラブとの縁が復活しました。
長男と二男が奈良クラブ入団
まずは長男が中学3年生の時,二男が奈良クラブジュニアユースに入団しました。
二男は金曜日に三重から奈良に通って奈良フットボールセンターでトレーニングを行い,週末の試合に参加すると言う生活を1年間続けました。
コロナ禍も重なり非常に苦しい1年間でしたが,奈良に友達もでき,新しいチャレンジの中で奈良クラブとの縁を深めていきました。
トップチームはフリアン監督就任が決まっていましたが,なかなか来日が出来ずに,アカデミーアドバイザー兼ユース監督のダリオがトップの監督と兼任していました。
ダリオは長男が初めてサッカーサービスキャンプに参加した時からの縁で,アメージングアカデミーでも長男の監督を2年間務めました。
私たち家族は,サッカーサービスキャンプでのダリオ,アメージングアカデミーでのダリオ,奈良クラブでのダリオ,日本で活動しているダリオと全てつながっています。
ものすごい縁です。
フリアン監督体制になりトップチームは徐々に成熟していきました。
JFL後半は一貫したメソッドで盛り返していきました。
JFLで上位を狙える位置でシーズンを終えました。
いよいよフリアン監督体制2年目は念願のJ3を目指すシーズンとなります。
長男は迷いなく奈良クラブユース入団を決めました。
世界の当たり前の日常を奈良に
私たちにとってユースの現在地の低さよりも,奈良クラブが描くエピソードのほうが重要でした。
育成クラブとしての奈良クラブでエコノメソッドを学んで世界へ。
こんなに魅力的なチームは日本中どこを探しても奈良以外にありません。
そして奈良クラブ新拠点の発表です。
ついに自前のグランドを持つことになりました。
濵田さんのビジョンと行動力には尊敬と驚嘆しかありません。
なぜ自前で7.4億もするサッカーグラウンドを作ろうと決断したのか。|MITSURU HAMADA #note https://t.co/vNGSV0l3tb
— 濵田満🦌奈良クラブ (@hamada_naraclub) February 13, 2022
濵田さんのnoteに登場する選手のお父さんは私です。
私は長男と二男ともに奈良クラブの新拠点の近くに引っ越すことを決めました。
どうしてもサッカーが日常にある生活を実現したかったのです。
仕事を辞めることは大変難しい決断でしたが,それ以上に奈良クラブの仲間として共に未来を見たいとう欲求を押さえきれませんでした。
最近は,徐々に出来上がっていく新拠点を観察するのが日課です。
そんな奈良クラブがもし来年J3でプレーすることになったらと考えてください。
私たちのように,奈良クラブに夢を見て、希望を抱き,日々の生活に活力を持つ県民が増えることは間違いありません。
老若男女が我が街のクラブを応援するという世界の当たり前の風景が奈良に誕生します。
サッカーが日常にある生活を奈良に,スポーツ文化が日常にある生活を奈良に。
我が街のクラブがある幸せを奈良に。