エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
ぶらっと寄り道話

ZIGZAG

大学生の頃の話です。

私は大学サッカー部に所属することから逃げてしまいました。

それでも「サッカーがしたい」とう思いは無くならず,社会人サッカーチームを探すことにしました。

父親が務めていた会社の関係先で探したり,飛び込みでチームに連絡をしたりしましたが,どうもしっくりときませんでした。

その期間,私は草サッカーチームで週末のみサッカーを楽しんでいました。

その草サッカーチームは私が一人暮らしをしていたアパートの1階にある美容室のマスターが立ち上げたチームでした。

アパートに入居するときに1階の美容室を観て,「ここに髪の毛を切りに行こう。」と決めていました。

私の部屋の真下ですし何となく縁を感じていました。

私はふらっと美容室の扉を開けました。

美容室の名前は「ZIGZAG」といいます。

「いらっしゃーい。」

と言う元気な声のひげがよく似合うダンディーな男性とちょっとシャイな感じの男性、そして髪の毛が茶髪の女性が出迎えてくれました。

この出会いが私の大学生活の思い出のほとんどを占めることになるのでした。

元気でダンディーな男性は美容室のマスターです

シャイな男性はマスターの弟さん(以下Tさん)で茶髪の女性はマスターの奥さん(以下ママさん)の妹さん(以下Y子さん)です。

マスターに髪の毛を切ってもらっている間に,マスターが草サッカーを始めようとしていること,私がサッカーチームを探していることなどを話しました。

この年は記念すべきJリーグが開幕した年でした。

そしてここは静岡県です。

清水エスパルスがオリジナル10としてJリーグに参加しています。

ただでさえ静岡県はサッカー王国ですので街は良い意味で浮ついていました。

私はマスターと意気投合し,この美容室の草サッカーチーム「ZIGZAG」の初期メンバーに内定したのでした。

ちなみに後で知ったのですがこの美容室には,静岡学園の選手たちがよく髪の毛を切りに来ているということでした。

美容室は月曜日が定休日です。

だから日曜日の営業終了後の19時過ぎから静岡市内の学校のグランドや公共施設等で草サッカーチーム同士で試合をしていました。

さすが静岡なのですがマスターがブラジルサッカーが好きなので,ユニホームはなんとフルミネンセのレプリカでした。

通すぎます。

さらに施設面でカルチャーショックを受けた部分なのですが,静岡市の学校や公共施設には99パーセントナイター設備がありました。

週末に限らず夜な夜なナイターを付けてサッカーを楽しむ市民の姿が日常でした。

私の地元にナイターがついている学校はほとんどありません。

静岡県がサッカー王国と言われる所以だと実感しました。

他にもサッカー王国を実感したところがあります。

それは選手のレベルです。

マスターはドリブラーで相手を抜くまでひたすら仕掛けていくし,Tさんは堅実なプレイヤーで器用に両足が使えました。

他にも板前さんや職業不詳の方,中学生などバラエティーに富んだチームのメンバー構成でしたがみんな普通にサッカーができました。

静岡学園出身で観たこともないテクニシャンの方や清水商業の出身の方なども助っ人で参加してくれたりもしました。

地元の三重では想像もできません。

さらにママさんやY子さん,Tさんの彼女さんやその妹さんがJリーグの応援ソングをラジカセでかけてマハラジャさながらにセンスを持って踊ってくれたり,ビデオ撮影をしてくれたりと,応援も華やかでまさにJリーグ初年度の煌びやかさそのものでした。

当時はまだまだバブリーな時代だったのです。

試合後は同じアパートの3階に住んでいたマスター家族と一緒にご飯を食べながらこの日の試合のビデオを観て宴会をするのが日課でした。

そのうちマスターやママさんが酔っぱらってきて,サッカーから脱線をしてギターの弾き語りが始まったり,二人がケンカを始めたりといつも笑いが絶えない賑やかな日曜日の夜を過ごしていました。

TさんやY子さんにもいつも気をかけていただき,Tさんとは彼女さんと一緒にTさんの実家のテレビでドーハの悲劇を目撃してしまいました。

3人でどよーんとしながら静岡の街を歩いたことを鮮明に覚えています。

とても幸せな日々でした。

三重県から静岡県に来た普通の大学生の私をまるで家族のように受け入れてくれた「ZIGZAG」には感謝しかありません。

初めての一人暮らしで心配もあったのですが,「ZIGZAG」の皆さんのおかげであっという間に不安は無くなり地元の両親も安心したのでした。

結局,私は大学4年間,暇さえあればこの美容室に入り浸るようになったのでした。

忘れられない思い出があります。

私が卒業を間近に控えたころ,ママさんが私に卒業祝いで財布を買ってくれたのです。

貧乏学生の私にとってとてもありがたいことでしたし,それ以上にこんな私にそこまでしてくれたママさんの想いに感激しました。

私はその財布を社会人1年目から数年間,ボロボロになるまで使ったのでした。

今でも静岡は私の大切な場所です。

あれから25年以上経ち,私も歳を取りましたし,皆さんも歳をとりました。

今でも元気にサッカーをしていてくれることが嬉しいです。