少しのオフ期間に実家に戻り,家族との時間をゆっくりと過ごすことが出来ました。
三男が受験生なので,夏期講習やら塾やらで,昔のように全員がそろっている時間は多くありませんでしたが,それでも優しい時間になりました。
長男と二男は実家を飛び出して挑戦しました。
三男はそれが出来ていません。
だから三男は長男や二男に言い返してもねじ伏せられます。
挑戦することが絶対とは言いませんが,安全地帯から飛び出して挑戦した人は,ある意味で肝が据わっているのでしょうね。
長男と二男からすると三男の言葉は薄く聞こえるようです。
それでも息子達は仲良しです。
PS5で一緒にマインクラフトやFIFA25を楽しみ,一つの寝室で雑魚寝で寝ていました。
兄弟は一緒くたに観られがちですが,三者三様で,似ているようで似ていないところがたくさんあります。
それでも仲良くしてくれているのは親がむちゃくちゃだからでしょうね(^^;)
我が家では家を建てるときにこども部屋を作りませんでした。
そもそも3人も息子が出来る未来を想定していなかったのもあるのですが,私が大家族的なものを善しと思っていました。
みんなでわちゃわちゃしながら生活をしたい。
その成果がこの仲良しぶりです。
狙い通りですね。
しかし,最近のこども達は「こども部屋が欲しかった」と言い出しました。
こどもの心親知らずですね。
愛情深く育てるのか。
それとも自立を促すのか。
私はどちらが正解かを考えることに意味はないと思います。
子育て期間は親がこどもの未来を考えて本気で向き合うだけです。
この本気はたまに暴走してしまうので要注意ですが,こどもの未来が幸せな未来であることを願っていればきっと大丈夫です。
こどもはそんな親の姿を見て育つからです。
むちゃくちゃな私が実感しているのですから間違いありません。
こどもは親を見て育ちます。
最近,私の頭には
Nobody’s Perfect
という言葉が常にあります。
人として親として完璧でいたいと思う気持ちは誰にもあります。
でも,「完璧なんて絶対に無理だ」とこれまでの経験を通して学んだ今の私にはわかります。
「完璧を求めてもがきながら歩んでいる人生」そのものに価値があるのだと思えます。
一度しかない人生に価値を付けるのは誰なのでしょうか。
紛れもなく自分自身です。
50歳を過ぎて,ようやく誰かと比べる生き方を捨てる時が来ましたね。
「自分らしく」とはそういうことなのだと思います。